3.11をキッカケに、
つながりある暮らしを求めて。
歌人「若山牧水」の生誕地として有名であり、町のシンボルでもある冠岳や、
日向灘に向かって流れる耳川など、美しく雄大な自然に囲まれた東郷町。
そんな町に、福島県南相馬市から移住した坂本美和さん家族。
震災という辛い経験を経たからこそ生まれた強い想いを胸に、
縁もゆかりもなかったこの町で、人と、地域と、
しっかり繋がっていこうとする坂本さんの暮らしぶりをお伺いしてきました。
取材日、ご自宅を訪ねると、
玄関のポーチでギターを奏でる中学生の息子さんと、ひなたぼっこする猫2匹に迎えられました。
通されたダイニングの開放された窓から吹く春風と、ギターの音色が心地よく、
坂本さんが日々送る「豊かな暮らし」の一端が見えた気がしました。
坂本美和さん
- 移住歴9年
- 移住元福島県南相馬市
- 職業自営業
早く、“安心して風を感じたい”。
日向市に移住してくるまでの経緯は?
2011年3月11日、福島県南相馬市に建てたばっかりの新築の自宅で東日本大震災を経験しました。翌日には自宅が強制避難区域となったため、錯綜する情報に振り回されながら数日間は避難所や知り合い宅を転々とする生活をしていました。その後、埼玉の親戚の空き屋を借り、なんとか平穏を取り戻そうとしていましたが、放射能の影響を恐れ、スーパーに並ぶ商品の産地を気にしながら、どこか不安な日々を過ごしていました。
そんな生活の中で生まれた、“安心できる土地で暮らしたい”、“安心して風を感じたい”という思いが、私たちの移住を考えるキッカケになり、サーフィンをする元夫の「移住するなら宮崎に」という強い意志もあり、宮崎を移住先に定めました。そして、南海トラフ地震による津波の被害を避けるべく、“海から5km以上離れている所”、安心した食材を自分の手で作れるよう“畑ができる所”という条件で探し、出会ったのが東郷町でした。
海・山・川・街の、ちょうどよい近さ。
町の人々の、分け隔てない優しさ。
はじめて来た東郷町の印象は?
東郷町までの道のりの山深さに「私は一体どこへ連れて行かれるのだろう?」と正直不安になりました。今考えると、たまたまそういうルートを通っただけだったのですが(笑)
実際来てみると、そこまで僻地という感じではなく、海・山・川・街がちょうど良い距離にあり、自然もダイナミックで美しく、食べ物も美味しくて、とっても素敵な所だなぁと思いました。
東郷町での暮らしはいかがですか?
息子は、小学校に通い出すとたちまち宮崎弁をしゃべるようになり、サーフィンもはじめて、すぐにこの町に馴染んで楽しんでいました。娘は、福島の時と比べて、もの言いがはっきりしているこちらの同級生たちに最初は戸惑っていましたが、そちらも時間の問題でした。私はというと、移住してすぐに畑を借りて作物を育てたり、ミニバレーのチームに入って活動したりしていると、自然に周りとの交流が生まれるようになりました。みなさんが、他県から移住してきた私の事を、いい意味で意識することなく、分けへだてなく気さくに接してくれたおかげだと思います。
時にフレンドリーすぎて、近所のおじさま方が、なぜかうちに呑みにやってくるなんてことも多々ありました(笑)
人とのつながりを大事に、日々を過ごす。
「坂本商店」をはじめたキッカケは?
その他には、東郷町の山中でビストロを構えるUターン移住者の夫婦と協力して、消臭・浄化・電磁波除去効果のある“竹炭”を作って販売したり、デトックス効果のある“クレイ”を使った足湯の施術をしたりしています。そして、それらを通して、より多くの人とつながれるように、東郷町を飛び越えてのイベント主催や出店も積極的に行っています。
暮らしの中で大事にしていることは?
稲刈りや畑仕事など、ご近所で助け合いが必要な作業には、できる限り参加するようにしています。いざというときに頼りになるのは、“人との絆”だと身をもって知っているので。人とのつながりを忘れずに、毎日を過ごすようにしています。
東郷町に農業でつながるコミュニティを。
今後の目標は?
持続可能性を意識した、農業でつながるコミュニティを作りたいという目標があり、去年、1800坪の畑と倉庫のある土地を借りました。そこで、作物を育てたり、それぞれの趣味を楽しんだりと、循環的で自由な時間を過ごせる、そんな場所を作れたら、と思っています。
移住を考えている方へのアドバイス
私もそうでしたが、まずは市や商工会に頼って情報を集めてみることが大事だと思います。
また、同じ町でも地区によって人付き合いや特徴が違うので、家を借りる前に近所の人に雰囲気をリサーチしてみるのもいいかもしれません。